悟る前に悟ること⁉

仏陀さん(本名ゴータマさん)は悟りをひらく前に
悟った事があるといいます。
ゴータマさんは修行の一環として、森の中で木の実と少量の水だけで耐えることや、炎天下の中でただ座り続けるなど、沢山の過酷なことを日常的に約5、6年間続けました。
まぁ、過酷であればあるほど思考がストップするのは当たり前。
むしろ、意識が朦朧とし、死んでるのか生きてるのかさえもわかりません。
ただ心を無くして呼吸をするだけでは植物です。
ヨガでは、植物や死体になりきる重要なポーズ等がありますが、ヨガ自体が修行や瞑想から派生されているので納得です。
ヨガとしては、それを体感し、同化することで、超越した感覚から学ぶべき事があるからであり、それになるわけでも、なりたいわけでもありません。
人間には「生存欲求」という生きるために必要不可欠である本能があります。
まず、ゴータマさん(仏陀)はあらゆる欲望を断ち切るために、生存欲求までも押し殺していたことを悟ります。
この苦行をやめたら元通り、だからまた苦行を行なう。
ん??根本改善になってねえ。
そこで、苦行仲間からの避難を受けながらも、疑問を抱えたまま修行から抜け、
辿り着いた涼しい菩提樹の下で、ふかふかに葉を履き、一杯のミルク粥を食べました。
その瞬間、今までの疑問の理由に気がついたんだそうです。
「うわぁあ…………。・・・・。」という体感した確信。
(だとおもう)
その後すぐに、今の仏教と呼ばれるものを確立させる悟りを開くことになります。
気づきとは、苦行で苦行中に手に入るものではありません。
今までの一般論や思考、ルーティンから一歩踏み出した時にそれは、そこにあります。
無我夢中で一心に、心の中の「なにか」信じ、見て見ぬふりができずに、全てを捨てまで苦行をしていた仏陀(本名ゴータマさん)だからこそ気づけたのでしょう。
きっとこれで、ゴータマさんに特殊な能力があったわけではなく、
ただのピュアな努力家であるという事がみてとれると思います。
ピュアな努力家というのは、ありとあらゆる成功者に共通する部分だと思いますが、
時に礼儀を正しく仏陀さんの前で手を合わせている人が神々しく思えるのは
自分の感覚を信じ、努力と共にその困難さを知り、
その悟りに辿り着くまでの想像しえない精神力へのリスペクトから自然に生まれる雰囲気なのではないでしょうか。
だからこそ、礼儀を重んじられる。
そして、それを見守るように、きっと誰の心の中にもあるのでしょう。
この距離感がなんともいえない。
偉大な愛はここにある。
そんな気持ちでヨガをすることの気持ちよさ。
長い歴史の中で変わっていくものと、
変わらないものがあります。
地球は太陽の周りを周ります。
でもその軌道はかわりません。

地球は自転をしており、軸は変わらないと見せかけてポールシフトと呼ばれる動きで180度変わったりします。
(ポールシフトが行われたら人類目線では終了のお知らせですが)

太陽は莫大なエネルギーで不動です。
でも永遠ではありません。
近づきすぎると燃やされます。

あるものはある。ないにはできない。
それをも統合することで、
「有るけど無い、無いけど有るものになる」
適度な距離感を大切に、動く事、変わることは当たり前
いい意味で、「そういうもんさ」

そんな事を、仏陀さんが悟ったであろう宇宙の神秘が教えてくれているような気がします。
様々な出来事の起因、原因は外内部以外の多方面にもあり、それは3次元レベルでは全く説明のできないことです。
どの哲学ですら真理の一部に過ぎません。
想像しえないもの。
だから感じるのです。
頭で想像出来ることは創造です。作ったものです。
まさにそれが人類の得意分野。
思う存分創造しましょう。

今までのぜーんぶひっくるめて吐き出してスッキリする場所が、センリーヨガスタジオです。
それでいいんです、今までは。

Let's challenge.
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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